澄川地区のあらまし
澄川地区は、精進川と望月寒川に挟まれ、南北に細長い特徴的な地形をしています。北は天神山の麓で豊平区の平岸地区に、東は望月寒川で豊平区の西岡地区に接し、南は駒岡地区の山林地帯へ、西は精進川をはさんで真駒内地区へと連なります。
開拓使時代当初は、木材の供給地として開墾が始まり、その後リンゴをはじめとする農業の盛んな土地となりましたが、定山渓鉄道や地下鉄の開業により、都心部との交通の便も良くなり、商店や住宅が立ち並ぶ賑やかなまちとなってきました。
地区の北側では東西の真ん中を「地下鉄南北線」が通り、澄川駅と自衛隊前駅の2つの地下鉄駅が設けられており、駅前を中心に商店や飲食店が建ち並んでいます。南側は丘陵地につらなる坂道と閑静な住宅地が多くなっており、全体としてさまざまな暮らしやにぎわいに歴史・景観などの個性があふれる魅力の豊かなまちとなっています。
澄川地区のいま
基本情報(令和6年10月1日現在)
人口:29,837人
世帯数:17,559世帯
面積:5.15km²
主な施設
<交通>
- 地下鉄南北線 澄川駅、自衛隊前駅
- 中央バス
- 澄川駅前 発
- 下西岡線(南平岸駅行)、西岡環状線(澄川駅前行)
- 澄川白石線(JR白石駅行)、西岡線(真駒内駅行)
- 南平岸駅 発
- 下西岡線(澄川駅前行)
- 真駒内駅 発
- 西岡線(澄川駅前行、澄川南小学校前行)
- 南平岸駅 発
- 下西岡線(澄川駅前行)
- 真駒内線(福住駅行、大谷地駅行)
- 北都交通
- 澄川駅前発 空港連絡バス
- 円山線(澄川駅前経由)、真駒内線(緑ヶ丘経由)
<学校>
- 札幌市立澄川小学校
- 札幌市立澄川西小学校
- 札幌市立澄川南小学校
- 札幌市立澄川中学校
- 学校法人札幌慈恵学園 札幌新陽高校
- 市立札幌平岸高等学校(所在地は豊平区平岸)
<公共施設>
- 澄川まちづくりセンター
- すみかわ地区センター
- 澄川図書館
- 南消防署澄川出張所
- 澄川交番
- 澄川図書館
<その他の施設>
- 澄川パークゴルフ場
- 紅櫻公園
澄川地区の歴史
澄川地区は、昔は精進川の川の名をとって「精進川」と称していました。昭和19年(1944年)に、当時の豊平町で地区の字名変更が行われた際に、清澄な精進川の流れをとって「澄川」となったものです。
開拓使が札幌本府の建設を行っていたころ、澄川地区は、豊富なトドマツの森林があり「官林(公有林)」とされました。明治5年(1872年)に、木挽小屋などの建設が始まり、「官林伐採」によって、その木材は開拓使に用いられました。
明治4年(1871年)、平岸村に開墾移民が入植し、明治6年(1873年)には、飲み水などの確保のために用水堀の開削に着手し、現在のあじさい公園付近で精進川からの取水口を設けました。
澄川地区には、明治15年(1882年)ごろから明治18年(1885年)に、福岡県からの「筑前団体」が入植し開拓が行われましたが、大冷害の発生などにより、なかなか定着することが難しかったようです。
明治29年(1896年)ころから茨木輿八郎氏により「茨木農場」の経営が始まり、同年には阿部与之助氏が精進川沿いの約180ヘクタールの官林貸し下げを受け、カラマツ等を植林し「阿部造林山」を造成。明治40年(1907年)に苗穂村の製瓶工場で溶炉が新設されると、吉田清氏が砂山と呼ばれた現在の澄川4条2丁目から3丁目の丘陵地で、ビール瓶の材料として火山灰(珪砂)の採掘と運搬を始めるなど、澄川地区の一帯は近代化の歴史をささえるまちとして発展していきました。
大正7年(1918年)、白石~定山渓間に定山渓鉄道が開通。昭和8年(1933年)に現在の地下鉄澄川駅付近に、北茨木駅が開設され、人口の増加と共に利用客も多くなりました。昭和35年(1960年)ころから道路の整備や自動車の普及に伴い営業成績が下降を始め、昭和44年(1969年)に鉄道営業は廃止されました。
昭和30年代後半から、住宅の需要が多くなるに従い、澄川地区でも住宅地の造成が盛んに行われました。昭和46年には、地下鉄南北線が北24条~真駒内間で営業を開始し、澄川地区には澄川駅と自衛隊前駅が開業、乗降客も増え、住宅と商店施設が立ち並ぶまちに変化し、現在に至ります。
澄川地区の主な年表
| 年 | 澄川地区の当時の名称 | できごと |
|---|---|---|
| 明治4年(1871年) | 平岸村 | 虻田から平岸までの本願寺道路 開通 |
| 明治5年(1872年) | 開拓使が精進川沿いに木挽小屋などの建設開始 | |
| 明治12年(1879年) | 平岸村精進川* | 器械場道路 開通 |
| 明治15年(1882年) | 筑前団体(福岡県)が入植 | |
| 明治23年(1890年) | 平岸小学校 開校 | |
| 明治29年(1896年) |
茨木輿八郎氏が茨木農場を開く 阿部与之助氏が林業を始める |
|
| 明治35年(1902年) | 豊平村精進川 |
平岸村、月寒村、豊平村が合併し、豊平村となる 相馬神社が豊平6条7丁目に仮神殿を設け奉斎 |
| 明治40年(1907年) | 吉田清が砂山から瓶の原料となる珪砂の採掘を開始 | |
| 明治41年(1908年) | 豊平町精進川 | 豊平村の人口が1万人を超え豊平町となる |
| 大正5年(1916年) | 相馬神社が現在の天神山に移転 | |
| 大正7年(1918年) | 定山渓鉄道 開通(白石~定山渓間) | |
| 大正11年(1922年) | 札幌に市制が導入され、札幌区から札幌市となる | |
| 大正14年(1925年) | 茨木農場でリンゴ植樹を奨励 | |
| 昭和8年(1933年) | 茨木氏の土地寄贈により定山渓鉄道「北茨木駅」開設 | |
| 昭和15年(1940年) | 精進川部落会の創設(町内会のような組織) | |
| 昭和19年(1944年) | 豊平町澄川 | 字名変更に合わせて、精進川を澄川と改称 |
| 昭和31年(1956年) | 札幌駅~澄川間に定鉄バスが運行 | |
| 昭和32年(1957年) | 定山渓鉄道 北茨木駅を澄川駅に改称 | |
| 昭和34年(1959年) | 定山渓鉄道「慈恵学園前駅」開設 | |
| 昭和36年(1961年) | 札幌市澄川 | 豊平町と札幌市が合併、澄川部落会を町内会に改称 |
| 昭和39年(1964年) | 澄川郵便局 開局 | |
| 昭和40年(1965年) | 住宅団地の急増 | |
| 昭和41年(1966年) | 澄川小学校 開校 | |
| 昭和42年(1967年) | 澄川町内会を10の町内会に分割し、澄川連合町内会に組織変更 | |
| 昭和44年(1969年) | 第1回澄川連合町内会大運動会開催、定山渓鉄道廃止 | |
| 昭和46年(1971年) |
地下鉄南北線(北24条から真駒内)開通、澄川駅と自衛隊前駅 開業 澄川中学校 開校 |
|
| 昭和47年(1972年) | 札幌市南区澄川 |
第11回冬季オリンピック大会 開催 札幌市が政令指定都市となり区制導入。澄川は南区に入る 澄川連合町内会は地区内の各種団体を併せ、澄川地区連合会に改称 |
| 昭和49年(1974年) | 澄川西小学校 開校 | |
| 昭和51年(1976年) | 澄川1丁目から7丁目までに条丁目導入 | |
| 昭和53年(1978年) | 澄川8丁目以南に条丁目導入 | |
| 昭和54年(1979年) |
澄川児童会館 開館 澄川公園 完成 |
|
| 昭和57年(1982年) | 澄川南小学校 開校 | |
| 昭和58年(1983年) | 澄川図書館 開館 | |
| 平成3年(1991年) | ミュンヘン大橋 開通 | |
| 平成8年(1996年) | 澄川北緑地 開園 | |
| 平成12年(2000年) | 精進川公園 開設 | |
| 平成14年(2002年) | すみかわ地区センター 開設 | |
| 平成21年(2009年) | 澄川まちづくりセンターが地域自主運営を開始 | |
| 平成25年(2013年) | 澄川サニー公園 リフレッシュ工事完成 | |
| 平成31年(2019年) |
澄川小学校校舎棟 改築完成 澄川児童会館 澄川小学校複合施設へ移転 |
*「精進川」という地名がついた時期は諸説あり
参考文献
郷土誌「すみかわ」(昭和56年8月発行、澄川開基百年記念事業実行委員会)
郷土誌「澄川ものがたり」(平成14年3月発行、澄川地区連合会郷土誌編集特別委員会編、札幌市南区発行)
札幌市南区公式ホームページ(https://www.city.sapporo.jp/minami/)
『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』「澄川」「豊平」「南区」(http://ja.wikipedia.org/)
(令和6年1月8日最終閲覧)